強烈なキャラクターなほどよりクリスチャンらしい

私が担当する初級クラスに、面白い女学生がいます。その学生は自称16歳ですが、実際は何歳かわかりません。

口を開くと中国語で、でたらめなことばかりを話します。

先生、私、習近平主席と電話してるの。
昨日、先生のうちに毛沢東がいたでしょ。
私は精神病で昨日、精神病院に行ってきたの。
私は白血病で、来年まで生きられないの。
来年は月に引越しするのよ。

授業中の質問では、「どうして、東莞に来たんですか」の問いに対し、「中学の時に恋愛して、それが学校にばれて退学になったんです」と返答。

授業中は、だいたい携帯電話をいじっていて、真面目に授業を受けようともしないし、日本語も話そうとしないし、もちろん、宿題もしない。ようやく、日本語を話したと思ったら、唐突に、ニコニコしながら、「先生、大丈夫ですか!」「先生、お元気ですか!」の二言。

夜中にイタズラ電話をかけてくることもある。ある晩は、3回連続で、中国中央電視局の記者になりすまして、インタビューに答えるように要求してきたこともあった。

先日は、休み中に、彼女が廊下で大声で話をしていて、その声があまりにも大きすぎたので、違うクラスの学生から苦情が出ました。私は他のクラスの先生から怒られ、注意するように言われました。彼女に苦情が出ていることを言うと、「私は精神病だからしょうがないの」とだけ言う。

さらに、感情の起伏も激しく、彼女が上機嫌な時は、クラス全体がにぎやかになるのでいいのですが、彼女の機嫌が悪くなると、一気に教室の雰囲気が台無しになることもあります。授業全体に気を配っているこちら側からすると、彼女はまさに諸刃の剣で、いつも機嫌が悪くならないか、気にかけ、どきどきしています。

何度か、彼女の感情むき出しの姿勢を、注意しようかと思いましたが、ぐっとこらえて、何も言いませんでした。私が16歳のころを思えば、私も彼女と同じで感情の起伏が激しく、いつも、不機嫌で、いらいらしていたように思うからです。

彼女は、悪く言えば、変な人、強烈な人。良く言えば、個性がある人、キャラクターが強い人。これが良いのか、悪いのかはわかりませんが、聖書に登場する人物は強烈な人が多いです。

ノアは箱舟で洪水から免れた後、泥酔して、すっぽんぽんになるし、イスラエルのリーダーをしたことのあるエフタは元やくざの組長だし、ダビデは陰謀により部下を殺して、人妻を奪い取るし、エゼキエルは神の命令に従い、ウンチで焼いたパンを食べるし、12弟子のヨハネは自分たちに従わない人々を天からの火で焼き殺そうとイェス様に提案する、などなど、、、、

普通の人間が引くぐらい、凄まじく、強烈で、過激で、きつく、キャラが濃厚な人たちです。このような人たちが神に用いられたとすれば、神様は、キャラが濃い人が好きなのかもしれません。

日本は、
過度の同調同質社会、
異質なものを排除する社会、
出る杭は打たれる社会、
と言われています。

神様は、「強烈なままでいいよ」と言ってくださっているのかもしれない。

カナンの地は今日も輝いています。