中国式交渉術に対する対抗策

中国へ来てから、クリスチャンとしてどうかわかりませんが、怒りや憤りという感情を、より肯定的に捉え、それをうまく利用するようになったと思います。

聖書は、上記感情に関して以下のような記述があります。

「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。」

「憤っても、日が暮れることがあってはならない。」

「できるかぎり、すべての人に対して寛容でありなさい。」

聖書は、怒りや憤りといった感情を、必ずしも絶対に噴出すべきでない、負の悪の感情と捉えておらず、むしろ、生きている中で、憤ることは避けられず、その中にあっても、できるだけ寛容であるようにと教えている、

これが正しいか分かりませんが、私は、このように理解しています。

中国で生活していると、理不尽なこと、納得のいかないこと、筋の通っていないこと、こういった場面に出くわす機会が多くあります。

順番を抜かされて注意したら逆ギレされたり、
部屋の鍵穴を何者かに勝手に交換されたり、
滞納していないのに電気を急に停められたり、
当然支払われるべき労働の代価をもらえなかったり、

告白もなく、もちろん、手もつないだこともなく、
ただただ一緒に食事に行っただけなのに、
自動的に付き合っていることになっていたり、

そして、それを相手に言うと、
これまた逆ギレされたり、、、

などなど、、、

些細なことまで列挙し出すと、きりがありません。

こういった場面に直面した時、怒りや憤りといった感情をうまく利用することによって、中国人と対等に会話することができ、場合においては、完全に相手を圧倒することができることを知りました。

理不尽な、非常識なことに対しては、常識やロジックは何の役にも立たないことを嫌と言うほど知りました。

自分の意思を伝えたい時、
自分の意見を言いたい時、

特に、議論になった時、
相手に説得されそうな時、
ねじ伏せられそうな時、

外国人の私がどれだけ頑張っても、
中国人相手では、言語上、圧倒的な差があるので、
とても太刀打ちできません。

ましてや、何も言わず、黙りこくり、なりゆきに任せたり、ハイハイマンでいくと大変な目に合ってしまいますこのような時、怒りの感情を意図的に有効活用します。

相手を圧倒させるための最大のポイントは、寛容で弱気な態度から、急に強硬で強気な態度に変容させ、声のボリュームを上げて、中国人を怒鳴りつけることです。

最初、寛容からスタートしなければならない理由は、クリスチャンはできる限り、すべての人に対して寛容でなければならいからです。

本当は怒りたくはないですが、このままでは馬鹿を見る羽目になってまうので、仕方なく、怒っているだけです。
先日も、理不尽な出来事がありました。

一ヶ月ほど前からフィットネスクラブへ通っていますが、そこのコーチが私がジムへ行く度に、

プライベートトレーニングの営業をしてきます。
480元(8,000円程度)/90分

10回分をまとめて買えば、一回あたりのレッスンは300元(5,000円程度)ですが、

金銭的にも決してリーズナブルではなく、一人でのトレーニングに十分満足していたので、毎回、うまいこと言いながら、うまくかわして断っていました。

しかし、先日は、そのコーチではなく、すべてのコーチを指導する、総コーチと呼ばれる、ムキムキのおっちゃんが勧誘にきました。

トレーニング終了後、別室の個室に連れて行かれ、日中友好について話し出しました。

彼の話のもっていき方は、非常にずるいものでした。

彼はまず、

私は日本人が大好きだ。
そして、日中友好は一番大切。

だから、私が初めに妥協して、
金額表より大幅に値段を下げ、
特別価格でトレーニングを提供し、

あなたの収入もかんがみて、
分割払いも可能にしてあげる。

と言い、

もし、お前が俺の妥協案に同意できない場合は、お前は俺のお前に対する配慮や考慮を軽んじた上、さらに日中友好をぶち壊すことになるんだぞ。

そんなことができるのか。
というようなものでした。

そもそも、お願いもしていないのに、勝手に妥協案を出し、スタートから一歩上に出て、さらに人間の情に訴えかけるという、典型的な中国式の交渉術でした。

私が、冷静に日中友好は確かに大切ですが、
これとそれとは全く別で、

トレーニングを受けるつもりもなく、そもそも金銭的に絶対に払えないと言っても、まったく聞かず、総コーチなる俺が、日中友好のために、せっかく妥協してやってるのに、それにそえないっていうのか、というような態度で30分ほど延々とやりとりが続きました。

最終的に、総コーチは、準備していたシナリオ演じるかのように、外で待っているコーチを部屋の中に呼び入れました。

総コーチは、そのコーチに、この日本人は給料が少ないんだ。俺はこいつのために、妥協し、様々な案を出してやった。なんとかこいつのためにコーチをしてやってくれないかと言いました。

そのコーチは、分かりました。
私も妥協し、この日本人のために、
頑張りますというようなことを言いました。

この芝居下手な茶番劇を見た瞬間、
もう、怒りのボルテージは最高潮に達していました。

私は乱暴に椅子から立ち上がり、
外にも聞こえるような大きな声で、
総コーチとそのコーチを怒鳴りつけてやりました。

そもそも、日中友好、妥協、配慮、云々じゃなくて、

話は簡単で、

あなたたちの所には3,000元(50,000円)が入ってくる。
わたしの所からは3,000元(50,000円)出ていく。

ただ、それだけで、
あなたたちは金儲けしたいだけ。

と言いました。

総コーチとそのコーチはあっけにとられた様子で、
今日は長い時間をとってすまなかったとだけ言いました。

私も最後に、
妥協案にそえず、すみませんでしたとだけ言い、
部屋を後にしました。

後味の悪いトレーニングになりましたが、
しょうがないことです。

正義のための怒りだけでなく、
自分の権利を守るため、
正しいことを貫き通すため、
理不尽なことに対抗するための怒りも、

義憤と呼ぶならば、

怒り、憤りといった感情を、
もっと有効活用すべきではないかと思いました。

「なわで鞭を造り、羊も牛も、みな宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台をひっくり返し、鳩を売る人々には『これらのものを持って、ここから出て行け、わたしの父の家を商売の家とするな』と言われた。」

このお方もすごく過激だと思います。

カナンの地は今日も輝いています。