朝から生ゲーム

毎週金曜日は分校で授業をするため、バスで通勤しなければなりません。通勤ラッシュ時のバス乗車。想像以上に肉体的にも精神的にも堪える中国の早朝の風物詩です。

バスの乗車成功率ですが、先々週は敗北し、タクシー通勤。先週は授業開始の2時間前に出発し、余裕で乗車確保。今日は少し寝坊してしまい、7時30分に家を出ました。経験から言えば、この時間帯は乗車不可の可能性が濃厚でした。

朝から、乗車できるかできないかで不安でした。こんなバス乗車ごときで、思い煩っている自分が馬鹿らしく思えます。

毎朝、多くの人が否応なしに壮絶な乗車闘争を余儀なくされています。思わず目を覆いたくなる光景も繰り返されています。ただ東莞市交通局が早朝に限り、バスの本数を増やせばすぐに解決する問題です。民衆の意見が必ずしも反映されない社会制度の一面をこんなところで感じることができます。

今朝も、しばらくバスを待っていると、遠くから、積載超過の鉄の塊がゆらゆらと近づいてきました。乗車希望者は、バスを認めた瞬間に臨戦態勢に入ります。私は完全に判断ミスをしでかしてしまい、1回目は乗車できませんでした。場数を踏んでいる強者の乗客は、直接後方へ回り、既に乗車を確保していました。

一回目のミスで心が折れてはいけません。制限時間内(遅刻しない時間)であれば、まだチャンスはあります。乗車闘争ゲームです。

結局、今朝は、2回目のチャンスで見事乗車を確保でました。乗車と同時に今日は「勝利者だ!」と喜んだ一方、こんなしょうもないことで喜んでいる自分と、私も完全に見苦しい絵を構成する一部になっいる事実に、一種の悲しさを覚えてしまいました。

本当に些細なことですが、とにかく、乗れるかどうか不安なんです。タクシーも簡単に捕まるとは限りません。遅刻しないためには、7時に家を出る、さもなくば、乗車闘争ゲーム強制参加です。

バス乗車ごときで神に祈らざるを得ないんです。バス乗車ごときで神の助けが必要なんです。どこから乗車するかを決める判断力、突入の際に要する勇気と肉体的な筋力、寿司詰め状態のバスを見た時に心が折れない精神的な強さ、いちばん大切なのは「折れない心」です。

ですから、バス停では、否応なしに、思いが神に集中します。このように、中国では日常生活の生活の隅々にまで、人を不安にさせる要素が散りばめられています。

バスに乗るのも困難ですが、
バスを降りるのも困難です。

その他、不可抗力的なものを言えば、高速バスが崖から落ちる、エレベーターが落ちる、カップラーメンを食べた小学生が死ぬ、下水油から始まり、毒もやし、毒醤油、毒海鮮、毒串焼き、、、

中国人自身がもう食べられる物がないよ、と嘆いているほどです。以前の同僚の中国人は、絶対に海鮮は食べないと言っていました。その同僚は、インスタント食品を食べて、腸がボロボロになるのはいいけど、水銀を含有した海鮮を食べて、中枢神経がいかれて、手足がガクガクになるのだけは嫌だと言っていました。

日本と比較にならないほど、不安要素に満ちあふれています。

とにかく、不安なんです。
神に頼らざるを得ないんです。

日常生活での不安要素もさることながら、制度がもたらす不安要素も存在しています。まず、中国には国民皆保険制度はなく、社会保障制度は極めて不完全です。農村戸籍出身者は、原則、都市部での社会保障制度を享受できません。さらに、一部の医者だとは思いますが、金儲けのために、患者に不必要な治療を施したり、不必要な薬を処方したりして、患者から搾取しようとする者もいるそうです。

最初は、これを聞いた時、嘘だと思っていましたが、中国人に聞くと、本当の話だそうです。ですから、中国人は病気になるのをいちばん恐れます。

とにかく、不安なんです。
神に頼らざるを得ないんです。

会社においても、年功序列制度や終身雇用制度はもちろんなく、会社に頼ることもできません。年金制度も不十分で、都市で働く大部分の農村戸籍の労働者は、年金保険に加入していないそうです。老後はまったく保障されていません。

このように、不安に満ち溢れている日常で生活しなければならず、さらに、会社や政府やその他制度に頼ることもできない。このような背景のもとで、中国では、すべてを支配し、守ってくださる神の中に安息を見出す者、また、神とともに歩む者が多く起こされやすいのではないかと思っています。

なぜなら、将来への不安だけでなく、日常生活の中に神に頼らざるをえない局面が多すぎるからです。

「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の影に宿る人は主に言うであろう、『わが避け所、わが城、わが信頼しまつるわが神』と。」

カナンの地は今日も輝いています。