味覚機能低下に伴う食欲減退の話

中国へ来て以来、食事を取るのが億劫に感じるようになりました。私にとって、食事は何の楽しみでもなく、面倒な煩わしい時間です。何にも食べたくないけど、生きるために食べなければならないから、仕方なく食べるというレベルです。

これは贅沢な悩みだということもわかっています。

でも、日本にいた時は、食事はそれなりの生理的欲求と精神的欲求を満たしてくれる生活の中の楽しみとして重要な位置を占めていたはずなんです。それが今では、時には、ご飯を食べることが仕事で、授業をすることが楽しみ、と思うほどです。

原因は、恐らく、舌がアホになったせいです。

中国へ来てから以前よりもまして、舌が粗雑、鈍感、馬鹿になったと思います。私は、生来、人並み以下の舌しかもっておらず、極端に言えば、4つの味しかわかりません。甘いか、辛いか、苦いか、酸っぱいかだけです。

食材そのものがもつ自然のおいしさや、四大味覚からさらに細かく分類化された味覚は、大体において、感じ取れません。相当、粗雑な舌です。すべての料理に対してじゃありませんが、ほとんどの場合において、私の舌経由で脳が下す、うまいかまずいかの判断の基準は、濃厚か淡泊か、の二点だけです。

濃厚であれば、うまい。
淡泊であれば、うまくない。

あるいは、

辛ければ、うまい。
辛くなければ、うまくない。

相当、鈍感な舌です。

四川省の人はピリ辛くないと美味しいと感じない。
湖南省の人は辛くないと美味しいと感じない。

これと同じです。

ある北方出身の中国人が、四川人は四川料理は美味しいって言うけど、あいつらは辛ければ何でもおいしいっていうから、四川料理は「料理」と呼べるのか疑問だ、というようなことを言っていました。

四川料理、湖南料理に限らず、広東料理などの例外を除けば、中国料理の大部分は油と調味料を多量に使って調理するものがほとんどです。日本のように、減塩、低塩、油控えめの考えがあまりありません。私は、毎日、増塩、高塩、脂っこい料理を食べたせいで、舌の味覚機能が著しく低下してしまいました。

例えば、湖南料理屋では、丼を食べる際、自分の好みに応じて、無辛、微辛、小辛、中辛、大辛が選べます。私は中国へ来た当初は無辛、または小辛が限界でしたが、今では中辛で軽く食べられるようになりました。ちなみに、中辛は湖南人ネイティブレベルです。

2ヶ月ほど前は、私の味覚の異常がもう末期だと感じたことがありました。もはや食事じゃないと思います。その食事の手法ですが、まず、湖南料理屋で中辛の丼を注文し、激辛料理を口に放り込み、舌に激辛を感じさせます。舌が辛さで苦悶しているタイミングで、一気にコーラを口内に注入し、舌に甘みを感じさせます。まさに、苦悶からの救いです。

全く別の性質をもつ辛味から甘味へ移行を、急激に、かつ繰り返し行うことにより、舌に刺激を与える手法です。しかも、その日は帰りに、中国南方にだけ売られている涼茶という漢方薬の、風邪薬並に苦い飲み物を飲みながら帰りました。

辛味、甘味、苦味の極限を味わいました。(私は酸味は苦手)

こうなると、食欲云々ではなくて、ただの極端な味覚への刺激の追求です。これは、もう、既に日常生活に支障をきたすレベルに達しています。このよう過程を経て、舌の機能が次第に低下していき、通常の食事を億劫と感じられるようになったのかもしれません。

そんなことを言いつつも、今は、ただただ奈良漬けの茶漬けが食べたくてたまりません。

神の国は飲食ではなく、聖霊における喜びと平安とである。

カナンの地は今日も輝いています。