香港の美術館と古い思想

今日はビザの関係で、朝から香港へ行って来ました。

私のビザの有効期限は発給から1年ですが、訪問ビザのため、90日に一度出国しなければなりません。

一国二制度を敷く中国は、香港、マカオへ行く際はパスポートが必要で、大陸に住む中国人も通行許可証がなければ行けません。

もちろん、就労ビザであれば、90日に一度出国する必要はありません。ざわざ出国するのは面倒のことように思われますが、私にとってみれば、90日に一度必ず出国できることは、非常に重要な意味をもっています。

それは、中国からプリズンブレイクできることはもちろんのこと、唯一、他のことを考えることなく休息できる日がこの日だけだからです。

もちろん、香港へ行きたければ、いつでも行けるのですが、月曜日から土曜日までは授業で、日曜日は教会活動で、祝日もたいてい教会の活動があるので、休みの日にどこかへ遊びに行ったりすることはほぼ皆無です。

そして、私にとって、日曜日は確かに安息日(休みの日)なのですが、毎週、教会の奉仕や活動があるので、実際は休みのようで休みではありません。もちろん、礼拝の奉仕をする中で、魂は恵まれるのですが、いつも緊張状態で、気が張っている中で奉仕をしているので、本当の意味で、心身ともに安息を得られるわけではありません。

ですから、このように強制的に出国できる時が、心身が安息する唯一のチャンスがあり、このように、90日に一度、しっかり息抜きできているからこそ、何とか中国で生活を続けることができているのだと思います。

今朝も6時半に起きて、3ヶ月振りに香港へ向かいました。市バスで長距離バスのターミナルまで行き、そこから、国境であるシンセンへ羅湖へ行きました。

今回、その羅湖のイミグレーションのところで、初めて、出国手続きをする際、係員に質問されました。いつもなら、パスポートと出国カードを提示して、判子を押してもらって、数秒で終わりでです。

4年中国に滞在している同僚も、今まで係員に質問されたことはないと言っていました。

私が係員にパスポートを渡すと、係員はパスポートの写真と私の顔を何度も見比べた後、英語で、私に名前を聞いてきました。こんなことは初めてだったので、私は動揺してしまい、すぐに反応できませんでした。また、自分の口から、思いっきり日本語英語でマイネーム イズ カレブ ヒラノと出てくるのが恥ずかしくて、中国語で答えてしまいました。

その後、立て続けに滞在目的、居住住所などを聞かれ、返答した結果、反対に本当に日本人かますます疑われてしまいました。
確かに私のパスポートの写真は、会社勤め時代に撮ったもので、結構太っており、現在の顔と若干違う面も否めません。

結局、その後、私に関するいくつかの質問に答えた結果、パスポートの記載内容と同一人物と分かってもらえ、無事、通してくれました。

冷や汗かきながら、やれやれと出国し、香港中心街へ向かうため、MTRに乗りました。

30分ほど電車に揺られながら、11時頃に中心街に到着し、すぐに、以前の同僚であった友人に会い、一緒に食事をしました。

お互いに近況報告をして、気楽に2時間ほどおしゃべりしました。

それから、彼は仕事のため、13時に学校へ戻り、私は彼と別れた後、YMCAのキリスト教書店へ行き、キリスト教関係の書籍を購入し、そのまま付近にある美術館へ行って1時間ほどぼーっとしました。

私は美術のことに関して全く知識を有していませんが、以前から美術館でのんびりすることが好きです。ですから、香港へ行った際は、必ず美術館へ行くことにしています。

そこの美術館は現代美術のみを扱っており、汚い絵から、反政府的なもの、アンダーグランドな作品がたくさん展示されています。絵や映像や音楽などを通して、自己表現している人たちの作品は、見ていて、聞いていて、本当に気持ちいいです。

そして、私は、この空間にいる時に、自分が大好きな自分を見出すことができます。これらの作品は、キリスト教の思想と比較した場合、よろしくないと思われる内容のものであることもあります。

私はこのような作品が非常に好きですが、普段はあまり触れたり、近づかないようにしています。普段、音楽を聴く時も、生活を安定させるために、キリスト教関係の音楽しか聞かないことにしています。これは、平日に思想の強い小説や映画や音楽に触れると、その影響がすぐに生活に影響が出てしまい、結果的に授業の質が悪くなるからです。

でも、90日に一回のこの日だけは、思想解禁し、好きなアンダーグラウンドな音楽を聴いて、汚い作品を見て、できるだけ何も考えないようにします。そして、その思想は、パンクロックだから、社会に対する反抗心や、年を取ることへの嫌悪や、大人に対する反発心など、建設的、生産的ではなく、あまりよろしくないものばかりです。

「30歳以上の大人は絶対信ない」というような歌詞の音楽を聴いていた私が、現在、既に28歳で、もうすぐその該当の30歳になるのです。
信じない側から、信じてもらえない側になってしまう厳しい現実。

10代からこの思想に生きてきて、10代後半にキリスト教を信じるようになってからは、自分なりに、できるだけキリスト教精神で生きるように努めてきました。しかし、良いか悪いかは分かりませんが、私の中には、この古い精神が残っているようです。

「それは、あなたが神の前に砕かれていないからだ」と、言われればそれまでですが、それでも、この古い自分も大切な自分のような気がする時もあります。

以前は、古い思想に生きていましたが、今では、年に4回だけ回顧するだけです。そして、古い思想に浸るとき、確かに居心地がよく、気持ちがいいのですが、そこには命がないことも事実です。

「わたしたちも以前には、無分別で、不従順な、迷っていた者であって、さまざまの情欲と快楽との奴隷になり、悪意とねたみとで日を過ごし、人に憎まれ、互に憎み合っていた。ところが、わたしたちの救主なる神の慈悲と博愛とが現れたとき、わたしたちの行った義のわざによってではなく、ただ神のあわれみによって、再生の洗いを受け、聖霊により新たにされて、わたしたちは救われたのである。」

カナンの地は今日も輝いています。