1064_最近の若者はLINEのメッセージがそっけない
教会の若者とごはん 僕が今の教会に来るようになって4年ほど経ちますが、コロナで教会活動がほとんどなかった時期が長かったので、若い世代との関係は正直かなり希薄でした。しかし、昨年から少しずつ活動が再開されて関係を作っていく…
教会の若者とごはん 僕が今の教会に来るようになって4年ほど経ちますが、コロナで教会活動がほとんどなかった時期が長かったので、若い世代との関係は正直かなり希薄でした。しかし、昨年から少しずつ活動が再開されて関係を作っていく…
奉仕するにあたって 先日今週は大切な奉仕があると書いていました。この奉仕をするにあたってこのように祈っていました。 その週は体調を崩したり何かと弱さを覚えることがありイエス様に頼らざるをえない週でした。しかし、神様の憐れ…
生き方は何を見ているかでわかる クリスチャンの考え方や生き方は何を見ているかによって決まると思います。何を見るかは2つしかありません。それは、見えるものに目を注いでいるか?それとも見えないものに目を注いでいるか?の二択で…
大切な奉仕 今週は大切な教会の奉仕があるのですが、この奉仕をするにあたって事前にこのように祈っていました。 この奉仕をするにあたって準備やいくつかのアイディア出しが必要でした。しかし、僕の心はいつもと違い焦燥感はなく、む…
ダビデの真実な悔い改め 連日ダビデのネガティブな結果のみを見てきました。クリスチャンであればきっとダビデの栄光の側面だけではなく、バテシバと姦淫の罪を犯したことは知っています。また、彼が悔い改めたことによってその場でその…
三男が反旗を翻す 昨日はダビデの長子が三男のアブサロムに殺されたということを書きました。これだけでもすでにトラウマ級の耐え難い出来事なのですが、災いはさらに続きます。なぜ連日こんなことを書くかというと、つらすぎて自分の中…
ルツ記は爽やか! 最近は通読でサムエル記下を読んでいます。非常に読了感の悪い士師記を読んで、それを中和するようにルツ記を読んで爽やかな気分になりました。その後、サムエル記上に入り、サウルとダビデのストーリーに入っていきま…
筋トレが落ち着いた 最近は筋トレが週1回程度になりました。筋トレは以前の自分にとっては優先順位が比較的高かったので、しんどくても必ず週2~3回はやっていました。しかし、自分の人生の価値観や大切なことを改めて見なおした時に…
ペンテコステ派に関する論争 今日は非常に書くのが難しいテーマについて書こうと思います。それはペンテコステ派についてです。最初に書いておくと僕は現在福音派の教会に行っていますが、ペンテコステ派の教会で救われて、イエス様に出…
はじめての鍼灸 昨日は鍼灸院に行く意思決定の過程を描きましたが、今日は鍼灸院での出来事を書こうと思います。僕のこれまでの針を体に刺されるという経験は注射と献血くらいしかありませんでした。ましてや複数の針を体に刺されるとい…
鍼灸院に行くことになったきっかけ 先日友人が院長を務めている鍼灸院で人生初の鍼灸をしてもらいました。彼の職場と僕の職場は一駅しか離れていないので行こうとは思っていたのですが、ずっと先延ばしになってしまっていました。彼とは…
これまでどれほどの人を躓かせてきたのだろうか 先日子供を保育園に送るため自転車をこいでいた時にこのようなことを思いました。 「これまで人生のほとんどをクリスチャンとして歩んできたけど、これまでどれほどの人を躓かせてきたの…
引照付き聖書 高校生から真剣に聖書を読み始めて以来、最近初めて引照を参照しながら聖書を読んでいます。引照とは引照付き聖書にのみ記載されてものになります。僕が使っている聖書アプリには同様の機能はないので、おそらく紙版の聖書…
説教者として一番やってはいけないこと 昨日はCSの説教が終わりました。今回の説教でも僕自身が学ばせてもらいました。自分ばかりが学んで果たして若い人たちがイエス様に近づくためになる御言が語れているのだろうかとも思います。 …
サムエル記上が面白い 昨日も書きましたが今はサムエル記上を読んでいます。サムエル記上はサムエルの奇跡的な誕生からサムエルが最後の士師として歩み、サウル、ダビデと王が立てられる物語として読んでも非常に面白い書物です。もちろ…
モーセ五書はおもしかった 今は通読でサムエル記上を読んでいます。これまでモーセ五書と言われている「創世記」、「出エジプト」、「レビ記」、「民数記」、「申命記」はかなり興味深く読むことができました。実際、モーセ五書を読む中…
雲行きが怪しい 2週間前から1日に1時間祈るという課題を自分に課しています。一週目は順調で1日1時間の祈りができていました。1時間といっても、1回あたり1時間の日もあれば30分と15分と10分と5分で総計1時間という場合…
説教の準備での葛藤 教会でCSなどの説教を準備する時に葛藤が起きることがあります。自分自身が祈りや聖書を読む中で教えられ、かつシェアすべきと聖霊の導きを感じた箇所を語る形式は特に問題ないのですが、聖書箇所が決まっている場…
意識的有能の段階が難しい 昨日は、聖書の言葉を実行できるようにするための具体的な方法論として、下記のような過程を経ると書きました。 無意識的無能:聖書を読んでおらず、できていないことがわかっていない状態 意識的無能:聖書…
どうすれば聖書の言葉を行えるようになるのか 個人的な経験上、聖書の言葉を実行してそれを自然と行えるようになるには常に戦いがつきものだと思っています。つまり、信仰に不戦勝はないということです。戦いがあると聞くと尻込みしそう…